※前書きと謝辞
ローレンスの学生時代終盤~研究員時代初期の小説になります。
彼の元同僚の女性研究者・アニバの視点で話が進みます。全3話予定。長いです。
アニバのキャラ原案をしてくれた友人、そしてこの小説の根底となるアイディアをくださったPL様に、この場を借りて深く御礼申し上げます。
齢14,5の頃だろうか。
私が身を投じる世界として選んだのは、滅び行く未来を救うための修羅の獄。
夢見たライフサイエンスのフィールドにいざ足を踏み入れたら、そこは、手垢でベトベトに汚されたスノードームだった。
茫漠たる閉鎖空間の中で、我らは科学の発展に尽くす同志だ!……なんて本気で思っている人間など、殆ど居ないことが分かった。
実のところ、周りは全て敵、敵、敵。
いかにして他を出し抜き、潰し、自分の研究を認めさせるか。そういう世界。
それが、”一般的な”研究者の美徳。
私の目指すところはそんなものではない。
私がやりたかったことはこんなことではない。
学業に身を削ぎ、努力を重ねるたびに、私の腸は煮えくり返り、学部卒業時には中身が全て吹きこぼれて空っぽになりそうだった。
しかし。郷に入ったら郷に従わねば身を亡ぼすのがオチだ。
溺死しそうなほど粗悪な培養液にでも、夢の為なら浸かってやろうじゃないか。
女性が女性として扱われないこの世界で、男性相手に生き残るには、誰よりも凶暴になるしかない。
どいつもこいつも、白衣の上にどす黒い欲を纏っている。
科学に己の利益しか求めていない。
そう思い込んでいた私は、学会に出るたびに同じ畑を耕す研究者の過ちを指摘し、調子に乗った頭でっかちを踏みにじり、コテンパンに叩きのめしてきた。
だから、学生として参加する最後の学会が間近に迫ったある日。
「おい!今度の学会、”あの天才”が出るってよ!」
”あの天才”と呼ばれる男が同じ研究畑に居ると知らされても、一笑に伏した。
大学の垣根を越えてまでこの世界で名を知らしめている男のことを、私だって知っていた。
だが、どんなに天才だ何だともてはやされていても、所詮は己のプライドと名誉を第一に考える野良研究者共と同じだろう。
天才だなんて醜悪な言葉で誉めそやされている者ほど、研究に没頭しているその実では、欲に塗れているものだ、と。
――――まぁ、そいつを伸し餅の如くぺしゃんこにしてやったらどんな顔をするのかは、些か興味があったわけだが。
そして、件の学会にて。
実際顔を見て、期待値がぐんと下がったのは言うまでもない。
なんて頼りのなさそうな男なのだろうか、肌は白いし痩せ気味で、背なんか私と同じくらい。
おまけに変な髪型。絶滅危惧種に程近いキノコヘアー、今時サブカル系男子でもそのスタイルにはしない。
その爬虫類めいた両目で見据えられようものなら、背中を滑走する悪寒で風邪をひいてしまうだろうな。
そいつが栄光の一途を辿った研究者の息子とは、到底思えなかった。
……いいや。容姿で判断するのは愚行だ。
真価は外見より内面で決まる。
妖怪白色キノコトカゲのお手並みを拝見してやろうと、私は一番前の席に陣取ってスクリーンに傾注した。
――――― 以上で発表を終わります。ご清聴、ありがとうございました。
奴の発表は非の打ちどころがない見事なものだった。
博士課程の院生とはいえ、並み居る教授陣にも引けを取らない成果と考察。
溢れ出る知性の泉を垣間見た私は、正直圧倒された。
(これで私より年下?)
祖国随一の大学で飛び級を熟しただけはある。
最初は奴の研究の穴を突いて、動揺させてやるつもりだった。
長年培われたであろうプライドを打ち砕き、すかした面を屈辱に歪ませ、二度と研究に精を出せないようにしてやろうと。
しかし20分間の研究発表を聴き終わる頃には、己の愚行を須く省みた。
恐ろしいくらいに聡明で、その貪欲さは穢れを知らない。
逞しく、とても眩しい欲だった。
これぞ私が追い求めてきた研究者の風柄であった。
(………… レベルが、違う。)
心臓が引き破れそうな程悔しいのに、同時に高揚していた。
気づけば夢中で考察を重ね、質疑応答の時間をいっぱいに使って議論を交わした。
それでも時間と知識が足りなかった。
奴と私の会話は、まるで教授と学生のやり取りだったように思う。
知り尽くしたいのに、私は奴の立つ場所にすら辿り着いていなかったのだ。
学会終了後、筆舌に尽くしがたい心地に打ちのめされていた私に、奴の方から声をかけてきた。
あの丸っこい、決して笑ってはいない目で、私を見詰めて。
「お疲れ様でした。貴女が質問してくれた箇所は、興味を惹きやすいように敢えて取っ掛かりを残しておいた箇所なんです。しかし実際、目を付けたのは貴女だけだった。流石、某大学一の才女だ。それはそうと、貴女の研究は非常に興味深く、感銘を受けました。今後のご活躍をお祈りしています。お互い頑張りましょう。」
学会賞を総なめし、教授陣に褒めちぎられ、有名企業のお偉方にハンティングされた彼奴は、悠々と言い尽くして颯爽と去って行った。
背筋に悪寒を感じる暇もない。
残された私の心には、激情の嵐が渦巻いて止まない。
才女? ご活躍?
その双眼で見つめておいて、よくもそんなことが言えたものだ。
私自身にはこれっぽっちも興味がない癖に。
私の意欲をたった数十秒で刈り取って、塵芥のように払い落とした癖に。
(―――― ああ、 お前は、)
研究者に必要な全てを兼ね備え、天賦の財を両腕に掻き抱いている。
私が ほしいもの 求めるもの、余すところなく持っている。
その瞳で、 何を見ているのか 知りたいのに、触れさせてくれない。
( なんて 憎い奴 なんだろう。 )
私には、テクノロジーの最先端へ昇り詰めていく奴の後姿しか見えない。
悔しくて悔しくて、気が狂いそうだった。
しかし、今なら認められる。それはお前に対する明らかな憧憬であったと。
私はお前と肩を並べ、科学の頂に立ち、そこからの景色について議論し合いたかったのだと。
一度敗けたくらいでくたばっては女流研究者の名が廃る。
私は奴がヘッドハンティングされていた企業を突き止め、無我夢中で研究業績を残し、推薦枠で同企業に採用された。
つまり、同期として入社したというわけ。
そこは奴のお父様が生前に勤めていた企業だった。
企業側が奴を欲しがる理由がよく分かる。
元来負けず嫌いで執念深い私は、追いつけ追い越せの精神で奮い立っていた。
いつかあのおかっぱ野郎に、私の研究結果をもってしてギャフンと言わせてやろう。
私に明日はある。憂鬱燃やして、いざ戦わんとす理系乙女。
しかし入社初っ端から、奴の待遇の良さには辟易した。
同期や上司は勿論、重役や社長まで奴をちやほやするものだから、企業の後ろ暗さを一気に見せつけられて社会の小汚さに幻滅した。
成果さえ残せば名誉をふんだくれると思っていた自分が馬鹿みたいだ。
企業全体が、奴の為に動いているようにも見えた。
(ありえない、何なんだ、この会社は!!)
私は毎日ぐつぐつと腸を煮詰めながら、実験を失敗し続け、芳しくないデータと向き合い、細胞を培養する。
その間も、四方八方から”天才”の評判を耳にする。
「あいつ、とうとう実用的なプロトコールを開発したらしいぜ。」
「やりやがったな、天才おかっぱ野郎め。こりゃ忙しくなるぞ…」
「ほかの新人は何をやってる?」
「さぁ? アイツが使う細胞でも準備してるんじゃねぇの。」
毎日、毎日、奴と自分の根本的な格差に打ちのめされ。
そのたびに辟易し、故に努力を重ね、必死に奴の背を追った。
――――そして私は、ある夜とうとう奴との接触を試みた。
学生時代からどうしても尋ねたかったことを、心に留めて。