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古の分子構造モデルを帰依に。






あくる日の夜、実験の合間に論文を読みながらコーヒーを飲んでいると、携帯が鳴った。
旧式のディスプレイには父の名前が表示されている。
時計を見れば午後の8時。この時間帯は勤務中のはずだ。
怪訝に思いながらも応答すると、電波に乗って落ち着いた声音が聞こえてくる。

『お疲れ様です。今夜は何時に帰宅予定ですか?』

誰に対しても、たとえ身内や部下であっても敬語を使うのは、雅馴な父の癖だ。
俺はタイムスケジュールを脳内で整理する。
今取り組んでいる実験が終わったら、もうひとつだけ段階を済ませておきたい。

「日付を越える前には帰れると思う。」

少し悩んでからそう答えると、携帯の向こうで父が辟易する気配を感じた。
自分だっていつもそのくらいに帰るくせに。
そもそも帰宅時間を電話で尋ねることこそ不自然なのだ。

「どうして?何か急ぎの用事?」

薄く笑いながら尋ねると、父はそれには答えず、苦笑交じりに、

『たまには家で飯を食いなさい。ワインを買って帰るから、乾杯しましょう。』

と告げる。俺はますます不思議に思った。
誕生日も、クリスマスもまだ先なのに、ワインで乾杯?
何かめでたいことがあったのだろうか。
煮詰まっていた研究が進展したか、新たな技術の開発に目処が立ったか。

「それはいいけど、何かあったの?…ああ、この間出した論文が無事通ったとか。」
『私ではありません。お前ですよ。』
「俺?なんかあったっけ?」

携帯を肩と頬の間に挟んでコーヒーカップを洗いながら、思い当たる節がないか考える。
幼い頃から、父は決して“答え”を教えてくれなかった。
どんなに小さなことでも解決法を考えさせる。
父は答えにたどり着くまでの過程で手助けをするだけだ。

『ほら、9月に。』
「9月ぅ?んー――――――あ。わかった。学会賞?」

俺はようやく思い出した。
数か月前に国際学会で、今年度の学会賞を受賞したのだった。
長い歴史の中で最年少の受賞らしく、かなり大仰に祝われた。今の今まで忘れていたけれど。

『そうです。こんなに名誉な出来事を忘れるなんて、お前はつくづく研究にしか目がないのですね。』

受賞はどうでも良い出来事ではなかった。むしろ誇らしかった。
ただ学会後に論文の執筆が立て込んでしまい、ゆっくり喜ぶ時間もなかっただけで。
改めて思い出すと、沸々と気恥ずかしい喜びが沸き起こる。

「はは、……うん。ありがとう。じゃあ、すぐ帰るよ。」
『ええ、気を付けて。』
「父さんもね。」

俺は電話を切ると、急いで実験台の片づけを済ませ、いつもよりだいぶ早く研究室を後にした。


大学からバイクを走らせ約15分。
こぢんまりとした木造家屋が、俺と父の家だった。
町はずれに位置しており駅からも遠いが、書斎になりそうな広い物置があったので、父が即決した。
スーパーマーケットも郵便局もない生まれ故郷に比べれば、どこだって住みやすい。

ガレージには既に父の車が停まっていた。家の明かりもついている。
俺は玄関扉を開け、部屋の奥に呼びかけた。

「ただいま、父さん。」

狭いリビングに入ると、面しているキッチンからホワイトクリームのまろやかな匂いがする。
机にはワイングラスとライ麦のバゲットが置かれ、食事の用意は整っているようだった。

普段、父は研究所、俺は大学で三食を摂る。
食事を共にするのは週末の夕食だけ。それも簡素なものばかりで、ここまで畏まった食卓は久しぶりすぎて、つい呆然としてしまう。
テーブルの前に立ちすくんでいると、キッシュとミートパイを皿に載せた父がキッチンから出てきて、俺に微笑みかけた。

「お帰りなさい。ちょうど準備ができたところです。といっても、買ってきた料理を温めなおしただけですが。」
「いや、十分だよ。手伝えなくてごめん、ほかに何か準備するものある?」
「ではワインと、チーズを出してくれますか。冷蔵庫にありますので。」

俺は冷蔵庫を開け、ワインのラベルを見て仰天した。
相当年代物の高級品ではないか。
ワインに精通していない俺でも分かる。確か、何かの雑誌の表紙になっていたやつだ。
それを抱えてリビングに戻り、キッシュを切り分けている父に叫ぶ。

「父さん、これ…!」
「おや、分かりますか。少し奮発しました。」

子どものように舌を出して茶目っ気を見せる父は、自分が著名な賞を受賞した時だって、こんな高級品を手にはしなかった。
驚きと困惑を読み取ったか、父は俺の手からワインを攫い、平然と言い放つ。

「お前の功績は、私にとってこれほどの僥倖だったのです。さあ、席に着きなさい。料理が冷めてしまう。」


―――たかが学会賞じゃないか。
とある専門分野において、一年で優れた研究成果を上げた者に進呈される賞。
国際的な賞とはいえ、大学院に進めば半分くらいの学生は受賞する可能性がある。
俺のように学部生が受賞することは、まあ珍しいけれど。

「………父さんの方が、いっぱい賞をもらってるのに。」

グラスに注がれる濃い紅色の液体を前に、俺は苦笑する。

「私がいただいた初めての賞は、博士課程1年目の優秀発表賞です。」
「ウソだろ?!」
「いいえ、本当です。今のお前より5歳も上の頃ですよ。」

交代で、俺は父のグラスにワインを注いだ。
間接照明のもとで、父は目もとに小皺を寄せて、優しく破顔する。

「お前は自分の器量をもっと誇るべきだ。いかなる壁を前にしても挫けず、怠けず、日々精進した。それは誰にでもできることではない。素晴らしい才能であり、財産です。おめでとう、   。」

故郷訛りの発音で名前を呼ばれ、懐かしい思いと喜ばしさに包まれる。
教授や学長に誉めそやされたときより、父に称賛された今の一瞬が、とてもうれしかった。
世界で一番尊敬する研究者に、俺の目標である人物に、認められたのだから。

「……………ありがとうございます、ルイス博士。」

今だけは“父子”ではなく、同じ頂を目指す“一研究者”同士でありたい。
掲げたグラスの縁を、互いにそっと合わせる。


ワインは勿論だが、チーズもキッシュも、口にしただけで顔が綻ぶほど美味しかった。
いつだったか俺が食べたいと言った店を覚えていて、予約をして買ってきたのだという。
父の心遣いに不覚にも涙が出そうだった。

食事の後、俺たちは共有の書斎へ入った。
元々物置として使用されていた部屋は、リビングと同程度の広さだ。
背の高い本棚が所狭しと並べられ、教科書や専門書、一般書物、論文などがぎっちり詰められている。
下手をすれば大学教授の部屋より資料数は多いだろう。

そして、部屋の一番奥に設置されたガラスケース。
そこには父と俺が今までに貰ってきたトロフィーや盾が管理されており、壁には額縁入りの賞状が年代別に整理して飾ってある。

古本の匂いひしめく部屋で、輝かしき壁を仰ぎながら、白髪交じりの茶髪を撫でて父は言う。

「近いうちに、私の古いものは下げましょうか。今後、お前の賞状をかける場所を確保しなければ。」
「何言ってんだよ。これからも父さんの方が、獲る数は多いはずだ。」

父は何も言わずにただ微笑んでいる。
100年に1度の逸材と呼ばれた父が、そう簡単に冠を下ろすとは思えない。
甘露のような才能は枯れることなく、これからも科学の発展に従事していくだろう。
俺はその血を受け継いでいるのだと思うと、たまらなく誇らしい気持ちになるのだ。
凡夫の俺も、血筋という誇りさえあれば、並み居る科学者と張り合っていける気がする。
父はそれほど偉大で、俺が追いつこうとしたって隣には並べないだろう。

「俺は父さんを超えようとは思ってない。もちろん、同じ道をくっついていくだけじゃないけど、目標として―――」
「以前指摘した欠点が、直っていないようですね。」

父の静かな琥珀色の瞳が俺を見据える。
咄嗟に口を噤み、睨むように視線を交わした。
小さい頃から何度も言われてきた、俺の欠点。

「………焦点を一つに合わせてしまうこと。」


夢中になると周りが見えなくなる現象を更に内弁慶にしたようなもので、俺はこれだと確信した対象に、必要以上に執着する悪癖があった。
いわゆる視野の狭さ、考えの幅の不足。
ひとつの分野を極めるのが研究者の業だが、たったひとつの視点に拘っては、現象の本質を逃してしまうのだと父は言う。

「研究だけでなく、実生活にも言えることでしょう。盲目な執着心は、剛直故に危うい。絶対的な存在を失ったら、何のために生きていくのですか?」

絶対的な存在―――― 俺にとっての父。
今、父がいなくなったら、俺は研究をやめるのだろうか。
本当は父になり替わりたくて、父のすべてを受け継ぎたくて、勉学に励んでいるのだろうか。
それは本来の目的を見失っていることに違いない。
俺は突如悪寒に襲われ、反論の余地を見つけられずにいた。
父はその隣で、磨き上げられたガラスケースの上面を撫でながら、滔々と語る。

「お前は私にはなれない、なる必要もない。本質をとらえなさい。

私が死んでも、お前は生きていくのだから。」

父の慧眼は何もかもを見抜いていた。
やっぱり俺は、この人になりたかったのだろう。
ただ同じ道を辿って、全てを継いだ気持ちになっていただけ。
同期の奴らが俺に後ろ指を指している理由も、わかった気がした。

「……………でも俺は、貴方の息子だ。その誇りは変わらない。俺はずっとそれを信じて生きていく。」

身体が燃えて尽きない限り、凍って砕け散らない限り、遺伝子は揺るがず存在し続ける。
俺の基盤を形作り、生きる意味の礎となっている。
今後活路を見失うようなことがあれば、胸に抱くそれだけを道標に、俺は生きていきたい。


父は目を細め、少しだけ困ったように、あるいは面映ゆそうに笑い、俺の肩を叩く。

「 Exactly. 」

その通りだ、と博士は言った。
英知を孕むDNAが、それを確かに記憶した。





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